漫才コンビ「中田カウス・ボタン」のツッコミとして活躍した中田ボタンさん(本名・藤長明さん)が、2026年9月14日に亡くなりました。78歳でした。
訃報は19日までに明らかになり、上方漫才を長年支えてきた存在との別れに、悲しみが広がっています。謹んでご冥福をお祈りいたします。

何があったのか|中田ボタンさんが78歳で死去
報道によると、中田ボタンさんは9月14日に病気のため亡くなりました。香川県出身で、78歳でした。(出典:東京新聞)
葬儀はすでに18日に家族葬として営まれたと伝えられています。
近年は肺がんの闘病を続けていたことが知られており、スポーツ報知や日刊スポーツも、ステージ4の肺がんと向き合った晩年を報じています。(出典:スポーツ報知)
中田ボタンさんとはどんな人?|「中田カウス・ボタン」の歩み
中田ボタンさんは1948年生まれで、1967年に中田カウスさんとコンビ「中田カウス・ボタン」を結成し、ツッコミを担当しました。(出典:東京新聞)
コンビは1971年に上方漫才大賞の新人賞を受賞。その後、1991年、2001年、2005年に上方漫才大賞の大賞を3度受賞しています。(出典:スポーツ報知)
スポーツ報知は、相方のカウスさんとの「極貧ネタ」で上方漫才大賞に3度輝いたと紹介しています。
大阪の漫才ファンにとっては、テンポのよい掛け合いと、ボタンさんの鋭くも温かいツッコミが、まさに「上方漫才の王道」として記憶に刻まれているのではないでしょうか。
どんな漫才だった?|「元祖アイドル漫才師」と呼ばれた存在
スポニチアネックスは、ボタンさんを「元祖アイドル漫才師」と紹介しています。(出典:スポニチアネックス)
報道によると、芸風は、カウスさんの毒っ気のある際どいボケに、ボタンさんが鋭くツッコむ「しゃべくり漫才」だったと伝えられています。
1995年には上方お笑い大賞も受賞しており、賞レースだけでなく、劇場の舞台でも長く観客を沸かせ続けた漫才師でした。(出典:日刊スポーツ)
読売新聞オンラインも、コンビで「上方漫才大賞」を3度受賞し、長年なんばグランド花月の舞台に出演したと伝えています。(出典:読売新聞オンライン)
「ツッコミ」というと相方を引き立てる役に見えがちですが、名コンビと呼ばれる二人の場合、ボタンさんの間とツッコミの鋭さがあってこそ、カウスさんの毒っ気が笑いに変わっていたのだと私は思います。
闘病の経緯|休養から公表まで
ボタンさんの体調不良が伝えられたのは、2019年のことでした。
同年2月ごろから体調不良を訴えて入院し、3月には一時休養が発表されています。(出典:スポーツ報知)
ステージ4の肺がんであることが分かったのも、この2019年2月だったと伝えられています。(出典:テレビ朝日系(ANN))
2023年には、吉本興業とのマネジメント契約が終了し、日刊スポーツは「事実上の引退」と伝えました。(出典:日刊スポーツ)
そして2024年の11月から12月にかけて配信された、桂小文枝さんの公式YouTubeチャンネルに出演し、ステージ4の肺がんであることを明かしていました。
スポニチアネックスは「余命3カ月」とされたところから始まった闘病7年だったと伝えています。
日刊スポーツは「血を吐きながら舞台」という見出しで、体調が悪くても舞台に立ち続けた姿を「昭和芸人の誇り」と評しています。(出典:日刊スポーツ)
報道によると、最後に姿を見せたのは今年4月の桂小文枝さんのYouTubeチャンネルで、「体調は万全やがな。一時期は息切れも咳もして悪い時もあったけど、今は全然大丈夫」と元気な様子を見せていたそうです。(出典:テレビ朝日系(ANN))

村上ショージさんの追悼|「師匠、師匠と叫びました」
訃報を受けて、お笑いタレントの村上ショージさん(71)が20日までにインスタグラムを更新し、ボタンさんとのツーショットとともに思いをつづりました。
「私の尊敬する大好きなボタン師匠が居なくなりましたわ」と書き出し、月曜日の朝にお弟子さんから連絡を受け、愛媛から駆けつけたと明かしています。(出典:日刊スポーツ)
「冷たくなった師匠の顔に手を当てて涙止まらず、師匠、師匠と叫びました」という言葉には、読んでいるこちらも胸が締めつけられました。(出典:スポーツ報知)
さらにショージさんは、亡くなる一週間前にボタンさんから「ショージありがとう ワシは幸せやわ」という言葉をかけられていたことも明かしています。
最後には「メロンが好きなボタン師匠でした」と、ボタンさんの好物にも触れていて、そのさりげない一言に、二人の近しい関係と、ショージさんの深い悲しみが伝わってきます。
考察|舞台に立ち続けた「最後の7年」が教えてくれること
ここからは、私の個人的な感想です。
2019年の休養から数えると、闘病はおよそ7年にわたります。
その間もボタンさんは、盟友たちとの共演の機会に顔を見せ、笑いを届けようとしていたと報じられています。
体調がすぐれないなかでも舞台に立とうとする姿勢は、舞台に生きた芸人さんの矜持だったのではないかと感じました。
今年4月の「今は全然大丈夫」という言葉も、本当にそうだったのか、周りを心配させまいとした気遣いだったのかは、私たちには分かりません。
ただ、亡くなる一週間前に「ワシは幸せやわ」と後輩に伝えていたというエピソードからは、最期まで人を思いやる人柄が感じられます。
一方で、ショージさんのように、亡くなったあとに「師匠」と慕う後輩がこれだけ言葉を尽くして送り出す姿は、ボタンさんの人柄そのものを物語っています。
笑いの世界で積み重ねた50年以上のキャリアは、映像や記録、そして後輩たちの記憶の中に、これからも残っていくはずです。

まとめ
漫才コンビ「中田カウス・ボタン」の中田ボタンさんが、2026年9月14日に78歳で亡くなりました。葬儀は18日に家族葬で行われたと報じられています。1967年にカウスさんとコンビを結成し、「元祖アイドル漫才師」と呼ばれながら、上方漫才大賞の大賞を3度受賞するなど、上方漫才の第一線を走り続けました。晩年はステージ4の肺がんと向き合いながらも舞台への思いを持ち続け、村上ショージさんら後輩たちから深く慕われていました。あらためて、心よりご冥福をお祈りいたします。
よくある質問
中田ボタンさんの死因は何ですか?
報道では「病気のため」とされています。スポーツ報知や日刊スポーツは、ステージ4の肺がんと闘病していたことを伝えています。
中田ボタンさんの葬儀はもう行われましたか?
報道によると、葬儀は9月18日に家族葬として営まれたと伝えられています。
中田カウス・ボタンはどんなコンビでしたか?
1967年に結成された漫才コンビで、ボタンさんがツッコミを担当しました。上方漫才大賞では、新人賞のほか、大賞を1991年・2001年・2005年に3度受賞しています。
村上ショージさんはどんな追悼コメントを出しましたか?
インスタグラムで「私の尊敬する大好きなボタン師匠が居なくなりましたわ」とつづり、「師匠、師匠と叫びました」と悲しみを明かしています。



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