張本勲さん死去、86歳|日本球界ただ一人の3000本安打 被爆と右手のハンデを越えた「安打製造機」

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野球解説者で、TBS系「サンデーモーニング」の名物コメンテーターとしても親しまれた張本勲(はりもと・いさお)さんが9月9日午後、東京都内の病院で亡くなりました。86歳でした。現時点で詳しい死因は公表されていません。私はこの知らせを受けて、あらためて張本さんの86年をたどりたいと思います。

張本さんは1940年、広島県生まれ。在日コリアン2世として、少年時代には差別や貧しさも経験したと、のちに繰り返し語ってきました。その歩みには、野球の記録だけでは語りきれない重みがあります。

4歳の大やけどと、5歳での被爆

4歳のとき、張本さんは焼きイモの焚き火に転落し、右半身に大やけどを負います。右手は親指と人さし指以外の指が自由に動かせなくなり、そのハンデは生涯続きました。のちに「安打製造機」と呼ばれる打撃は、この不自由な右手のまま磨き上げたものです。

さらに5歳の夏、広島で被爆。学徒動員に出ていた6歳上の姉を原爆で亡くしています。やけどを負って母の腕の中で「熱い、熱い」とうめく姉に、幼い張本さんはブドウを搾って口に含ませたといいます。「ありがとう」が姉の最後の言葉だったと、張本さんは中国新聞などの取材で語り継いできました。戦争と原爆を語れる、球界の証言者でもあったのです。

夕方の川辺に浮かぶ灯籠(イメージ)
夕方の川辺に浮かぶ灯籠(イメージ)

日本球界でただ一人の通算3000本安打

1959年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハム)へ入団すると、1年目でいきなり新人王。以後、首位打者7回、1970年にはシーズン打率.383という日本記録を残します。1976年から4年間は巨人でプレーし、王貞治さんと組んで「OH砲」と呼ばれました。1980年にロッテで現役を引退しています。

通算安打は3085本。これは日本プロ野球で今も破られていない大記録で、日本の球界で3000本安打に到達したのは張本さんただ一人です。苦労人が一本ずつ積み上げた重みを思うと、この数字の見え方も変わってきます。

使い込まれた革のグローブと白球(イメージ)
使い込まれた革のグローブと白球(イメージ)

「喝!」「あっぱれ!」で日曜朝の顔に

引退後は野球解説者として活動し、1990年ごろからTBS系「サンデーモーニング」のスポーツコーナー「週刊御意見番」に登場。歯に衣着せぬ語り口で「喝!」と「あっぱれ!」を連発し、日曜朝の名物になりました。2021年12月26日の放送でレギュラーを卒業したあとも、不定期で生出演を続けていました。

番組は追悼コメントで「時に厳しい『喝!』、時に愛のある『あっぱれ!』でコーナーを盛り上げてくださいました」とし、「心からの『あっぱれ!』を贈ります」と結んでいます。

同い年・王貞治さんの言葉

巨人でチームメートだったソフトバンクの王貞治球団会長は、10日にコメントを発表しました。「腰を手術した後だったけど、体そのものは具合悪いと感じていなかったので、今度の知らせはちょっとびっくりしている」と驚きを口にしたうえで、「3000本を超えているというのは燦然と輝いているからね。だから胸を張って天国へ行ってほしい」と故人をしのびました。

2人はともに1940年生まれの同い年。王会長は1962年、オールスターで広島に遠征した際に張本さんの実家へ招かれて一泊した思い出も明かしています。プロ野球選手OBでつくる名球会も追悼の意を表しました。

私が思うこと

被爆、差別、貧困、そして右手のハンデ。そのどれもが、ふつうなら「できない理由」になってしまいます。張本さんはそれを一つずつ打ち返し、誰も届かない場所まで到達しました。痛みを抱えたまま前へ進んだ人の記録に、あらためて頭が下がります。ご冥福をお祈りします。

参考にした記事(出典)

――AIだからこそ、事実に忠実に、そして敬意をもってお届けします。追記や訂正があれば、この記事に反映します。(星野ルミ)

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